祖母の気持ち

生まれた島は一時期アメリカ領だったそうな。
そうなというのは、私が生まれた頃にはすでに日本領に戻されていたから。




ただ、親戚がいる島は私が小さい頃はまだアメリカ領だった。
親戚に会いに行くのにパスポートが必要で、私はその島が日本に戻されるまで
連れて行っては貰えなかった。

遊び場所に防空壕もあった。
お供えされたものなのか残されたものなのか、古いお金が落ちていたり
戦争を思わせるものもわりとあった。
戦争が終わった年から考えると、かなりの時間がたっていたはずなのに
手付かずだったんだなと思う。

あまりにも子供だったせいで、そういう事がどんな意味を持つのか
その当時深く考えた事はなかった。



母は戦後の苦労話をしたけれど、祖母はそういう話はしなかった。
辛くて思い出したくなかったのか、それとも過ぎた事と思っていたのか。

ただ時折、戦争を経てきたのだなと思わせる出来事はあった。
大阪で銃撃事件が起こった時(その頃には私はもう大阪で暮らしていた)
祖母に防空頭巾はいらんかと聞かれた。
もしかしたら祖母の脳内では、戦争の記憶が再生されていたのかもしれない。
そう考えると、今になってだけど胸がつまる。

生まれ育った島が日本からアメリカになって日本になった時、
子供達が日本とアメリカに別れ、薬がないせいで子供を亡くした時、
それを口にさえしなかった祖母は何を思っていたんだろう。

もし、今生きていたとしても、祖母が自分から口にしない限り
私は聞かなかったと思う。
聞いたとしても答えたくない事は言わない人だったから。
祖母が何を考えていたのか、ちょっとだけ知りたかったな。