ハンニバル・ライジング

 本と映画は別物。そう思って見るようにはしているけれど、本を先に読んでるとやっぱりちょっとがっかりするな。


◆制作
原題:Hannibal Rising 2007年 アメリカ・イギリス・フランス

◆キャスト
ハンニバル・レクター=ギャスパー・ウリエル
紫夫人=コン・リー(西遊記 孫悟空vs白骨夫人)

◆あらすじ
1952年リトアニア。ハンニバル・レクターは、戦争で家族と死に別れ記憶の一部を失ってしまった。レクターは、ソ連の孤児院での厳しい制裁から逃れるため、唯一の血の繋がりを頼りに叔父の住むパリへと逃亡する。

そこで、美しい日本女性との出会いを果たす。ある日、市場で彼女が侮辱を受けたことをきっかけに、彼の内なる狂気が葬り去られた記憶とともに目覚めていく。

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本のあらすじを全部丁寧に描いていたら、何時間あっても足りないから、いくつかのシーンを省いたり、辻褄を合わせる為に、ストーリーが変更したり、登場人物が減らされたりするのは、仕方ないと思ってる。

が、今回はあまりにもキャラクター削りすぎた気がする。レクターの幼少期、彼にいろんな知識を与えた家庭教師、紫夫人の侍女だっけか、あの少女も役割は大きかったと思うのに、
その2人がいなくなってる。

レクターと紫夫人のキャラも、本で読んだイメージが違った。本も翻訳本だし、映画も字幕なので、何が本来なのかわかんないから、私のイメージの方が間違ってるかもしれんけど。
レクターが紫夫人に、殺人を告白したりはしないと思うんだよな。

殺したと一言でも話してしまえば、紫夫人は選択を迫られる事になる。殺人の告白、証拠を知っていたら、警察に通報しなければならない。辛い思いをしてきた甥を、警察の手に渡すか、通報せず自分が犯人隠匿の罪を犯すか。

そんな苦しい選択をさせる事になるのは、賢いレクターならすぐに気が付くはずで、守ってるはずが苦しい立場に追い込むなんて間抜けな事、彼がするとは思えないんだけどな。例え、紫夫人が彼の犯行に気が付いて、事後だろうと手を貸したとしても。

レクターが事件に巻き込むか、紫夫人が自分の判断で手を貸すが、レクターはそれを止められない。その違いは大きい気がするけど、原作を細かく記憶してないから思い込みかもな。

若きハンニバル・レクター。あの役はどうしてもサー(アンソニー・ホプキンス)のイメージが強いし、難しい役なんだと思う。穏やかさと狂気、知性と残虐性が1人の人間の中にあって、状況によって顔を出すわけだし。ギャスパー・ウリエルはイケメンさんなので、そこを取り上げられる事が多いんだろうけど、俳優さんとしても悪くはなかったかも。