デヴィッド・ウィルツ/倒錯者の祈り

 サイコ・ミステリーなのだけど、サイコより追う側の苦悩と強さがよかったな。



◆制作
原題:Prayer for the dead 1993年 アメリカ 扶桑社

◆あらすじ
薄暗い家の居間で、薬を打たれ体を固定された男が、ゆっくりと血を抜かれている。
帰宅した家の主ダイスは、蒼白な顔となった男の髪にやさしくブラシをあて、用意したスーツを着せ、レクイエムを流しながら、死にゆく者にうっとりと目を向けて食事を始めた。

保険会社勤務の平凡な男ダイスは、次々と男を拉致し殺害する。小さな町で相次ぐ謎の失踪事件の調査依頼に対して、元FBI捜査官ベッカーは、犯人の意識に入り込む独特の捜査方法で事件の深層へと向かう。

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犯人の考える事がわかる。犯人の空想がわかるというのは、自分もそういう素地をもってるからかもしれない。もしそうだとしたら、自分もいつかは人を手にかけてしまうのだろうか。起きてもいない未来に怯えるベッカー。

トマス・ハリスのレッド・ドラゴンと同じ設定。自分の中に巣くった残虐性を直視するのは気持ちのいいものではない。まして、その場面に直面する事の多い職業ではなおさら。犯人は、ベッカーを自分と同一視する。同じ素質があるから理解できるのだと。それがまたベッカーの不安を煽る。

でも、冷静に考えれば全然違う。犯人は、自分の楽しみの為に人に危害を加える事を夢見るが、ベッカーは、想像力や理解力が優れているだけで、危害を加える事を望んではいない。その差は大きい。

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けれど、そこが見えてくるまでベッカーは眠れない。自分の凶暴な残酷な面に怯える。自分が怖い。自分が信用できない。誰かにすがりつきたくても出来ない。大事な人を身近におくのは、大事な人を危険にさらすかもしれないから。声をあげられないSOS。人の強さにもたくさんの強さがあって、強さの質の違いみたいなものが描かれてて嫌いじゃなかった。

ミステリーとかホラーを読んでると変になるぞと言われたり、そういうジャンルがあるから暴力的な事が起きるんだ、みたいな事を言われると複雑な気分だった。別に残虐なのが好きなわけじゃないのになとか思ってた。でも、この本を読んでちょっとすっきりした。

物語として読むのと、現実に人を傷つけるのと、同じように見えてる人がいるんだろう。
その区別がつかないから言われるんだろうな。